Category : 江戸時代にもいた淫乱な女たち

借金のカタに娘を差し出す武士もいた!?

武士たちの収入は例えば「八百石」というように米の量で示されますが、実際に給料として米が現物で渡されていたそうです。米があれば生活できる、というものではありませんので、武士たちは藩主から受け取った米を現金に換えなければなりません。その両替をしていたのが「札差」(ふださし)と呼ばれる職業の人々です。銀行のようなものですが、金貸しがメインの収入源。武士たちは金に困ると米の両替ではなく、金を借りるようになりました。

武士の収入は一定ですので特別な功績でもない限り増えることはありません。借金をしなければならないような経済状態に陥っている武士たちが、借金を返せるようになるのはとても難しかったことでしょう。借りた金が返せなければ何らかのカタを差し出すしかありません。中には娘を「カタ」にしてしまう人もいたようです。娘に価値があるのは、セックスのお相手ができるから。女郎になってしまうということもありました。

娘を担保にしてしまった矢藤源左衛門

幕臣の矢藤源左衛門は金に困って新宿の茶屋から借金をしました。茶屋というのは、レストラン・喫茶店のたぐいの総称ですが、カップル用に個室を設けて現代の「ラブホテル」の代わりとなっていた店や、女郎をおいてソープランドのようになっている店もありました。そうした店から金を借りるときには、何らかの担保が必要です。しかし、一般的に貧乏な武士が資産を持っていることはありません。財産価値のあるのは、せいぜい、処女の娘くらい。茶屋にとっては「生娘」は担保となり得ます。

矢藤源左衛門は「もし借金が返せない時には、娘を差し出す」という念書を書いて、25両の金を借りました。しかし、返せるあてはありません。しばらくすれば当然、返済期限が迫ってきます。とうとう、娘を差し出さなければならなくなったその時に救いの神が現れました。「札差」をしていたお琴という金貸しです。「お琴」は女装趣味の男性でした。外見は女性ですが、実際には男。矢藤源左衛門はその外見を信用して、娘をカタにお琴から金を借りてしまいました。

娘をさんざんもてあそばれ、奪われてしまった矢藤源左衛門

お琴は外見は女性ですが中身は男。カタとして預かった娘を、放っておくはずがありません。すぐに閨に引き入れて、毎晩セックスのお相手をさせました。すっかり娘の体にほれ込んでしまったお琴は、とうとう「嫁に欲しい」と言いだします。借金を返すアテのない矢藤源左衛門はそれを拒否することはできません。武士の娘が金貸しの嫁になってしまったのです。 金のない武士たちは、娘をカタに借金をすることがありました。借りた金を返せない者たちは、娘をとられてしまうということも少なくなかったようです。

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