Category : 江戸時代にもいた淫乱な女たち

好色淫乱過ぎて幕府に叱られた尾張藩主の母「お福の方」

一般的には男性の方が女性よりもスケベです。男性にも女性にも好色な人は大勢いるはずですが、それを表に出す女性はめったにいません。ところが、江戸時代には男顔負けのものすごく好色な女性がいました。尾張藩の3代藩主綱誠(つなのり)の側室で、4代藩主吉通(よしみち)の母であった、「お福の方」です。当時は、夫が亡くなると側室は髪を下して尼になり、性行為を控えるのが普通。お福の方も夫、綱誠が亡くなると尼になり、本寿院(ほんじゅいん)と名乗りましたが、セックスは遠慮しません。次々と男を閨(ねや)に引き入れました。 あまりにハデに男あさりをするために、とうとう幕府からお叱りを受け幽閉されて、セックスができない苦しみのあまり気がおかしくなってしまったそうです。

35才で夫に先立たれ、体を持て余したお福の方

江戸時代の大名たちは妻の他に複数の側室を持っていました。時にはかなり年下の側室を持つこともあるため、大名が亡くなったときに側室はまだとても若いことも少なくありません。40才の大名が15才の側室を持ち、45才で亡くなれば、側室は20才。そんな若い女性たちも、夫が亡くなれば尼になるのが普通です。

夫の綱誠が亡くなったときに、お福の方はすでに35才。当時の女性としては決して若いというほどではありませんが、「女」としてはまだまだ性欲が旺盛な年代です。形式上は「尼」となって「本寿院」と名乗り、男性との接触を断つ形をとりましたが、セックスをしないではいられません。参勤交代でやって来た若い藩士を次々と食い物にしたのです。自分が風呂に入っているところに若い藩士を招きいれ、裸にさせてペニスを調べました。気にいったモノがあれば、「試してみないことには良し悪しは分からない」と、お風呂でそのまま交接したそうです。

男を買いあさり始めた本寿院に幕府の怒りが!?

外出先では、歌舞伎役者や相撲取りを買いました。お金を払えば、役者や関取はセックスのお相手をしてくれたのです。参詣の名目で寺院に出かけては僧侶と性的関係を結んだりもします。当時、僧侶の多くは、後家さんの性的お相手になることが多かったといわれます。その他にも、藩に出入りする商人や奉公人を部屋に呼び入れては、裸にして肉欲に溺れました。

やりたい放題の所業は「藩主の母」ということで黙認されていましたが、あまりにもひどいために幕府からお叱りを受け、本寿院は幽閉されてしまいます。男性と接触できないように閉じ込められたまま、その後数十年間生き続けました。しまいには、髪を振り乱し木に登って股をこすりつけて身もだえるなど、気がおかしくなったと思われるほどになったそうです。 江戸時代、尾張藩主の母本寿院は、とても淫乱で後家になった後に次々と男あさりをしました。現代にも奔放な女性はいますが、本寿院ほどの人はめったにいないでしょう。

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