Category : おかしな日本のセックス事情

女敵討で殺された女性はわずかだった?

人形浄瑠璃の文楽で「鑓の権三重帷子(やりのごんざかさねかたびら)」というものがあります。三大不義密通物の1つで、タイトルの女敵討がテーマになっています。江戸時代、女の不倫は大罪で、殺されるほどのことだったようです。文楽の題材になるくらいですから、ポピュラーな法律だったわけです。

一説によると・・・

ある説によると、このお触れは女性の旺盛な性欲をおさえるために出されたとも言われています。江戸の初期、銭湯は混浴で男女の性もおおらかだったようです。おかみもあまり厳しい取り締まりはしませんでした。そのため、江戸の風紀が乱れ特に武家の奥方や後家の買春が横行してしまったのです。今でいうとホストにはまった感じでしょう。

待合茶屋というものがあり、そこで若い男(歌舞伎の役者など)とセックスを楽しんでいました。おかみにとってもこれは見過ごせないことです。なぜなら、身分制度自体をゆるがしてしまうからです。「武家の旦那の女房を寝取られた」となると、武士のメンツもあったものではありません。

必要から生まれたお触れ

こうして女敵討が生まれました。これにより、女性のおおらかな性の時代は終わりを告げました。こののち、女性の自由を奪うような制度が昭和初期まで続いていたのは、こうした痛い経験があったからかもしれませんね。とにかく、これによって江戸の風紀がひきしまりました。当初はたくさんあった女敵討もだんだん数が減ったようです。

本当に殺されたのか?

実際にその女性が手討ちにされたのか?それも恥の上塗りですよね。「あのうちの旦那は浮気されたんだぜ」と皆のウワサになるのは必然です。娯楽の少なかった当時としては、ウワサは死活問題でした。へたをすると、御家とりつぶしになるかもしれません。

そこで考えだされたのが示談による解決です。密通の事実そのものをなくすとともに、その男からお金を取ったようです。確かに敵討ちは手間がかかりますし、届け出もしなければなりません。

だいたい相場としては金5両だったようです。それを皮肉った川柳まであるのですから、そんなケースが多かったのでしょう。当時の武家の台所事情も苦しかったわけですから、別の意味でも助かりました。その男はもちろん江戸から追放だったのですが、奥方のほうはちゃっかりモトサヤに収まったりしていたようですね。

本来はとても怖い刑罰

ただし処刑された例によると、その方法は残酷でした。3日間市中ひきまわしのうえ、2人を縛ったうえで胴を輪切りにされたそうです。見せしめの意味合いからでしょうが、相手はやさ男が多く、町民の同情をさそったそうです。逆に、女性に対する視線はきびしく、その親類縁者まで村八分にされたそうです。

こういった例をみていても、やめられない密通の味。女性の業の深さを思い知りますよね。昔も今も一緒なのかもしれませんが、女性の場合、セックスの回数が増えるにつれて、どんどん感度が良くなるとも言われています。これは女性の性感のメカニズムにも、関係しているのでしょう。男性の場合、射精といった明確なオーガスムがありますが、女性にはそれが明確ではありません。しかし、ポルチオ性感帯というものがあり、これが感じるようになってくるのが、性交を始めてから数年以上たってからと言われています。この性感は青天井なのですから性欲が旺盛になるのは当然。 いつまでもたくましい男性であり続けること。これが女性を満足させる、昔から変わらない秘訣なのかもしれませんね。

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